「○○しても無駄!」と言ってばかりいると薄っぺらい人間になる

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先日こんなツイートが少し話題を呼んでいた。


どうやら彼が言うには大学に通うこともバイトをすることも「無駄」らしい。


ぶっちゃけると僕はこういった類のツイートが大嫌いだ。


この記事が生まれるキッカケになったから貼っているけど、本来このブログに載せるのさえ嫌だ。


男磨き(笑)界隈に多いが、上から目線で他人を「雑魚」呼ばわりするようなヤツは僕の中では全員クソ野郎だ。


同様の理由でジョージとかいうヤツも大嫌いだ。


熱くなってしまったが、やってもいないのに「○○しても無駄!」と切り捨てることを僕は大いに反対している。


今回はそんな「○○しても無駄!」と切り捨ててばかりいると、薄っぺらい人間になるという話を書いていく。

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無駄かどうかはその時点ではわからない


無駄をなくすこと、省くこと。それ自体はもちろん大事なことだ。


令和のこの時代にフロッピーディスクを仕事で使うのは明らかに無駄だし、満員電車でストレスまみれで通勤することも人生の無駄だ。


仕事でも日常生活でも、なるべく無駄を切り捨てて効率化することはとても大事だ。


しかし問題はこれを人生に当てはめた時に、「何が無駄なのか?」ということは意外とわからないということだ。

・今の時代大学に行くだけ無駄
・オナ禁なんてやっても意味ないし無駄

・安く使われるバイトなんてやっても無駄
・女遊びして好きでもない女とヤリまくるなんて無駄

こういった意見はあなたもよく聞くだろうし、一見もっともらしく思える。


嫌な言い方をすれば「無駄なことをしない俺カッケェ!」みたいなある種の優越感を感じられるだろう。


だが結論を言えば、やってみてもいないのに「〇〇は無駄!」と切り捨てることは結局人生において大きく損をする。


なぜならその物事が本当に無駄であるかどうかは、後になってからじゃないとわからないからだ。

 

一見無駄だと思えることが、将来何かを生み出す

スティーブ・ジョブズ 伝説の卒業式スピーチ(日本語字幕)スタンフォード大学【英語の教科書】


↑はアップル創業者スティーブ・ジョブズの超有名なスピーチである。あなたも一度は観たことがあるかもしれない。


このスピーチは「一見無駄だと思えることが将来何かに繋がる」いい事例である。

大学を中退し、自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。

たとえばリード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。

キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。

退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。

ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。

何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。

ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。

そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。

スティーブ・ジョブズ伝説のスピーチより

普通に考えたら、大学を中退してまで文字のフォントや形について勉強するなんて「無駄」でしかないと思うだろう。


しかしジョブズは自分の心を動かすカリグラフィを「こんなこと学んでも無駄だ」と決めつけず、納得するまで勉強した。


それが10年後にマッキントッシュを作る時に、大いに役に立ったのだ。


それは逆算してできたことじゃない。自分が好きで学んだことが将来思わぬ形で繋がってそれが仕事に活きたのだ。


またホリエモンの「すべての教育は洗脳である」という本の中でもこれに似た事例がある。


彼がプロデュースしたグルメアプリ「TERIYAKI」は年間500食以上は外食するような食通たちが厳選した「本当に美味しいお店」だけを的確に教えてくれるアプリである。


なぜこのアプリが生まれたのかというと、それはホリエモン自身がもともと本当に美味しいお店にこだわって外食していたのがキッカケだった。


ホリエモンは別に20代の頃から「いつか画期的なグルメアプリを作ろう。これはそのための調査だ」とか考えて居酒屋やレストランに行っていたワケじゃない。


ただ本人が好きで美味しいお店を開拓していたら、それが将来「スマホアプリ」というものが出てきた時にうまくマッチしたのだ。


もしホリエモンが「外食や酒を飲むなんて無駄だ!」と言ってこれらを切り捨てていればこのアプリが生まれてヒットすることはなかっただろう。


大学で文字のフォントを学ぶことも、美味しいお店を開拓することも、男磨き界隈の連中からしたら「そんなの無駄!」の一言で終わりだろう。


確かにその時点では一見無駄に見えるかもしれない。


しかしそんな一見無駄だと思えることが、ビジネスでなくとも将来何かに繋がる可能性があることを否定できる人は誰もいない。


あの天才ジョブズでさえ、今やっていることが将来何かに繋がることは予想すらできなかった。


だから僕たちも「〇〇なんてやっても無駄だ!」と頭から決めつけるのではなくて、なんでもどんどんやってみるべきだ。


もちろんやってみた上で「コレは無駄だな」と思ったら、それは切り捨てればいいだけだ。


逆に言えば、色々やってみるからこそ何が無駄で何が無駄でないのかがわかり結果として効率的になると言えるだろう。


ホリエモンの「すべての教育は洗脳である」を読みたい方はコチラ!!

無駄だと切り捨ててばかりいると、薄っぺらい人間になる


そして僕がなぜやってみる前から「そんなの無駄!」と切り捨てることに反対するのかというと、結局「薄っぺらい人間になってしまうから」だ。


考えてみてほしいのだが、深みのある人間に成長させてくれるものは一体なんだろうか?


読書・音楽・映画・歴史・勉強…


色々あるが、結局何が一番自分を深みのある人間にしてくれるかというとそれは「経験」だと思う。


あなたの周りにも1人くらいめちゃくちゃブッ飛んでて話の面白い人がいると思う。


そうした人は「人が普通ならやらないようなこと」を体験しているから人の興味を引くし、繰り返しの日常ではなく色んな経験をしているから話の引き出しが尽きない。


だから彼らの話は面白いのだ。


「人生経験」という言葉があるように、色々な経験をしてきた人間の言葉には重みや含蓄があるし自然と熱や説得力を感じるだろう。


だから「○○なんてやっても無駄!」と言って切り捨てることは、一見賢く見えて実際には貴重な経験を捨てているのだ。


何事もそうだが、何か物事をやってみると予想外の出来事や発見に必ず出会う。これが尊いのだ。

飲食店でバイト経験のある人は、土日のクソ忙しい時にお客様から「ありがとう」と言われるのがどれだけ嬉しいかわかるだろう。


福島の復興拠点に訪れれば、震災の被害がまだまだ終わっていないことがわかるだろう。


サラリーマンとして働きだせば、あなたの保護者がどんな気持ちで働き続けてきたのがわかるだろう

このように色んな場所に実際に行き、バイトやサラリーマンなど色んな立場になって初めて見えてくることがたくさんある。


そこから感じたことや学んだことが、あなたという人間を少しずつ深めていくのだ。


やってみることもせず「バイトなんて無駄!」「旅行なんて無駄!」「雇われなんて無駄!」と言ってばかりいる人間には、こうした視点を持つことは絶対にできない。


結果として頭が固く視野も狭く、他者を見下してばかりの薄っぺらい人間が出来上がる。


そうした人間こそ、結局人生を無駄にしているのではないだろうか。

まとめ もっともっと無駄を愛していこうぜ


今回は「やってみる前から無駄だと切り捨ててばかりいるな」という記事を書いた。


人生において何が無駄で何が無駄でないのか。その判断はすごく難しい。


僕の書いているブログだってもしかしたら「無駄」かもしれない。


4年半ちかく続けて大した収益もPVも得られていない。人によっては完全に「無駄」だろう。


けど今文章を楽しく書いていることが、将来何かに繋がると信じて頑張る。今の僕たちには結局それしかできない。


僕が気づいたらブログを書いているように、あなたにも気づいたらやってしまっていることがあるハズだ。


絵を描くこと・映画を観ること・車のタイヤにこだわること・一眼レフで写真を撮ること


こうしたこと趣味ももしかしたら「無駄」かもしれない。しかしそれらが何かに繋がって、将来に思わぬ形で生きてくることがある。


だからそれらを「無駄」だと切り捨てることはもったいないし、それらを楽しむこと自体があなたという人間を深くしてくれる。


本来世の中なんて突き詰めれば無駄だらけなんだ。だからこそもっともっと無駄を楽しんで愛していこう。


それでは。

 

ホリエモンの「すべての教育は洗脳である」を読みたい方はコチラ

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