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親ガチャとは
子供の観点から「自らが生まれる境遇を選べない」ことを、ランダムに排出されあたりはずれのあるガチャになぞらえた語。
2021年9月、今ちょっとしたワードが話題になっている。それが「親ガチャ」。
「子どもは自分で親を選ぶことができず、どういう境遇に生まれるかは運任せ。成功できるか否かも親の財力次第」
生まれながらにして覆すことのできないこの状況を、ソシャゲのガチャに例えて流行った言葉である。
今回はこの「親ガチャ」をテーマに記事を書いていく。
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親ガチャという言葉にやたら怒ってる人は視野が狭い
僕は親ガチャについて「そりゃ存在するでしょ当たり前じゃん」という考えていたのだが、怒ってる人が多くてびっくりしてしまった。
そんな親ガチャに対してやたら怒る人たちについて調べると、大体こんな感じの主張をしていた。
・嫌な言葉ですね、親はショックですよね
・努力したくない若者の言い訳でしょ
・生んでくれた親に対して失礼だろ!!そんな言葉使うな!!
なるほどなるほど。まあ確かに言い分はわかるし、親の立場からすればこんなこと言われたらイヤなのもわかる。
しかしそれでも僕は主張したい。「親ガチャという言葉にやたら怒ってる人は視野が狭い」と。
親を神聖視してくだらない理想を信じている
思うに親ガチャという言葉にやたら怒ってるいる人は「親は素晴らしく偉大な存在で子供は感謝し親孝行すべきだ」という下らない理想論があるのだと感じる。
虐待をする、熱湯をかける、食事を与えないという親が現実にいるなんてことは理外の範疇すぎて想像にも及ばないのである。— lemonboy@禁欲×資本主義攻略ブロガー (@lemonbo31232211) September 24, 2021
↑は僕のツイートだが、思うに親ガチャという言葉にやたら怒ってる人は親を神聖視しているのだと思っている。
親は素晴らしく偉大な存在であり、子供は親に生んでくれたこと・育ててくれたことに対して感謝し親孝行しなければならない。
こんな道徳の教科書みたいな「ぼくのかんがえたさいきょうのおやこ」という下らない理想を他人に押し付けているのだと思う。
しかも親に恵まれた人間=すなわち親ガチャに当たった人間ほど無意識にこういう押し付けをしてしまうのがまたグロテスクだと感じてしまう。
(6/11) pic.twitter.com/e7KgsJcSMH
— をのひなお (@wnhno) July 30, 2019
なぜなら親に恵まれた人間は「親が自分を大切にしてくれるのが普通」であり「自分も親を大切にするのが普通」だとナチュラルに考えている。
そういった親の元で過ごせば当然そういった考えになるだろうが、世の中には色んな家庭がありどうしても親を許せない人もたくさんいるのが現実だ。
親から大切に育てられた人は、虐待をする・熱湯をかける・食事を満足に与えないという親が実際にいるということが信じられない。
どこか映画やニュースの中だけの出来事として捉えていて、現実に存在するなんてこと考えも及ばないのである。
なぜなら自分の理外の存在に対して考えが及ばないから。
要は視野が狭いので自分の想像や常識から外れたことに、理解どころか想像することすらができないから。
この世にいい親がいるということは裏を返せば、悪い親もいる。というのが普通だが、こんな当然の理屈が彼らにはわからないのです。
だから「親ガチャなんてない!!」とか「親に感謝できないなんてありえない!!」なんて主張は視野狭窄も甚だしいのである。
虐待された人に対して、「親ガチャはない」と言えますか?
親ガチャに対して怒ってる人に僕が聞きたいのは「虐待された人に親ガチャなんて使うな!!と言えますか?」ということである。
親から虐待やネグレクトを受けた人が「いや~俺親ガチャ外れちゃったわ」っていうのを聞いたら「そりゃそう思うよな…」って思いません?普通。
虐待やネグレクトを受けた子供は大人になっても後々までその悪影響を引きずって生きることになってしまう。
しかも育児放棄するような親を引いてしまったら、学費どころか生活費すら自力で稼がなければならず本来背負わなくてもいい苦労を背負うことになってしまう。
親ガチャ当てた他の友達は親から愛情を受け、お金で苦労することもなく、欲しいものも買えて、ちょっと頑張っただけで学歴すら手に入る。
事実として子供が親から受ける影響はとても大きく、のちの人生を大きく左右してしまうのだ。
何も悪いことをしていなくてもロクでもない親を引いてしまった子供は苦労するし、優しい親を引いた子供は必要以上の苦労を背負うこともない。
このことから事実として「親ガチャ」は存在する。
人間の下らない常識や倫理観・理想論を持ち出して、現実を歪めて見てはいけないのである。
「ある」ものを「ない」と言ってはいけないのだ。
親ガチャを外したら人生終わりなのか
さて、ここまでで親ガチャが実在することと親ガチャを認められない人が視野が狭いということを書いてきた。
しかしこうした意見もある。
「親ガチャを外したら人生終わりなのか?」と。
これに対しては僕は明確にNOと答えている。なぜなら現代日本に生まれたということだけでめちゃくちゃ恵まれているからである。
「親ガチャ」が話題です。確かに親ガチャは人生に多大な影響を与えますが、日本人は「国ガチャ」でSSSを引いているので親ガチャがハズレでも前向きに頑張りたいですよね。
— tomo🇺🇸米国相場のあれこれ (@popo_hamu_s) September 21, 2021
日本で暮らしていると気づきにくいけれど、日本は世界的に見ても恵まれた国である。
特に現代は色んな価値観が認められつつあるし、ひと昔前だったら大学卒業→企業でずっと働くみたいな感じでしたがお金の稼ぎ方も変わってきている。
戦国時代とかだったら一農民が逆転するみたいなことはほぼ不可能だったが、自分の努力次第でいくらでも逆転のチャンスがあるのが現代だ。
たしかに親ガチャに外れてしまった人は、人並み以上の努力が必要になってきてしまう。これは理不尽だと正直思う。
しかしガチャに外れた人も当たった人も、何の努力も行動もなく人生を切り開いていくことができないのは同じではないだろうか。
少なくとも国ガチャと時代ガチャには当たったのだから、必死になって努力することは必須だと感じている。
まとめ
今回は親ガチャについて記事を書いた。
残酷なようですが、やっぱり事実として親ガチャは存在している。
まずは親ガチャがあるということを認めて、その上で自分がどういう選択と行動をしていくのかが大事ではないだろうか。
親ガチャ外れたった、人生終わりだーではなく、外れてもいくらでも巻き返しのできる時代なのでそこは必死に努力していこう。
僕も偉そうなこと言ってますが、親に感謝できるところは感謝して許せないところは許さないままで必死に努力していこうと考えている。
それでは。
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