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こんにちは、片づけの魔法に目覚めたlemonboyです。
2019年ももう半分終わりましたね。はやいなあ(笑)
先日こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」を読んで断捨離をやってみました。
その時に感じた片づけをした思ったことを書いていこうと思います。
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片づけとは「モノとの関わり方」を見つめ直すこと
こんまりさんの本にも書いてありますが、片づけとは「本当に必要なモノ」と「捨てるモノ」を区別する作業。
別に次から次へとモノを捨てる必要はなく「自分が心からときめくモノ」だけを残してそれ以外は捨てるということです。
なので否が応でも、自分が所有しているモノ一つ一つと向き合うことになりますね。
こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」を読むまで、僕もなかなかモノを捨てられず長らく汚部屋で暮らしていました。
こんまりさんの本に感化され、「おれも片付けをするぜ!!」となり、多くのモノ1つ1つと向き合いました。
大抵の場合、片づけは残すモノよりも捨てるモノの方が多いと思います。僕も多くの不必要となったモノを片づけました。
服・本・書類・謎の充電器・写真・思い出のモノ…色んなモノを、色んな手段を用いて片づけました。
本はブックオフの公式宅配買取サービスで買い取ってもらいました。
捨てる・売る・寄付する
色んな手段をもって手放しましたが、やはり心苦しさを感じました。
自分にとって必要ではないとわかっていても、捨ててゴミになってしまうのは悲しいし、心苦しい。
こういった罪悪感から、モノを捨てられない人も多数いるんじゃないか。と思いました。
今でこそ僕は不要なモノはばっさばっさ捨てますが、昔の僕はもったいないから、かわいそうだからとなかなか捨てられない男でした。
「せっかく買ったのに、捨ててしまうなんてもったいない」
「今まで全然使わなかったけど、いつか使う時が来るかも…」
「これ捨てたら後で後悔するんじゃないか?」
「何より、捨ててしまうなんてモノが可哀そうだ」
…これは片付けが苦手だった昔の僕の考え方です。
この記事を読んで下さっているあなたも、もしかしたら似たような考えを持っているかもしれません。
しかし、今ではこの考え方自体に疑問をもっています。
思い切って片づけをしたことで、僕自身の考え方も大きく変わりました。
もっと言えば、「モノに対する古い価値観を捨てることができた。」と言えるかもしれません。
捨ててしまうなんて、モノが可哀想だ
よく言われる「捨ててしまうなんてモノが可哀想だ」という意見がありますがこれは本当なのでしょうか。
この意見に対する僕の考え方は
「捨てずにとっておいていることは、モノを大切にしているとは言えない」
ということです。捨てるかどうかで悩んでいる中、僕はあることに気づきました。
捨てるかどうか考えるモノのほとんどは「片づけをするまで存在に気づかなかったモノ」であることが多かったのです。
これはもうホントにびっくりしたのですが、片づけを始めると
「こんなモノ部屋にあったっけ? なんでこんなモノをとっておいたんだろう…?」
っていうモノたちの多いこと多いこと。
自分で買ったはずのモノなのに、存在を知らない。
捨てずにとっておくという決断をしたのは自分なのに、その存在を忘れてしまっている。
体験すればわかりますが、これは結構な衝撃を受けます(笑)
あなたの部屋にも恐らくこうしたモノがたくさん眠っていると思います。
「せっかく見つけたし…何かの役に立つかもしれないし…捨てるほどもないでしょ」
ついついこう考えてしまいがち。
捨てることに罪悪感を感じている人はなおさら「捨てるなんて可哀そう」と思うかもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか?
「片づけをするまで存在を忘れられていたモノは、幸せでしょうか?」
「ほこりをかぶって、部屋のどこかに無造作に置かれていたモノは幸せを感じているでしょうか?」
「捨てるほどではないから、となんとなく残されて、放置されているモノは幸せでしょうか?」
僕はそう思いません。
なぜなら「モノを捨てないでいることは、モノを大切にしているとは限らないから」です。
部屋のモノは、あなたの役に立ちたいと思っている
片づけをして見つかったモノを有効に活用しているならいいでしょう。無闇に捨てろとはいいません。
ただ、こんまりさんは「人生がときめく片づけの魔法」のなかでこのように考えています。
「あなたの部屋の中にあるモノたちは、あなたの役に立ちたいと考えている」
モノには一つ一つ役目があります。
ペンなら書く、本は学びと楽しみを、服は着る喜びを、充電器は充電を、思い出のモノは特別な時間を…
モノには役割があり、それらは持ち主である僕やあなたの役に立ちたいと考えています。
そうしたモノの存在を忘れてしまうことの方が可哀想ではないでしょうか?
捨てられていないだけで、ただそこに置かれて劣化していくモノは可哀想ではないでしょうか?
買ってみたけど、なんとなく気にいらなかったモノ。
昔は楽しんでいたけど、今はすっかりもう飽きてしまったモノ。
お気に入りの服だけど、毛玉やほつれなどが目立ってきたモノ。
かつては大切にし、楽しんでいたからこそ捨てるのが難しい。
その気持ちは痛いほどわかります。僕自身もそうだったから。
しかし、人間は時間と共に成長します。
昔好きだったモノでも、趣味や考えが変わることもあるでしょう。
新しいモノを買った途端、使わなくなってしまうこともあるでしょう。
大きくなって服のサイズが合わなくなるように、モノの好みや嗜好が合わなくなることもあります。
そうしたモノは思い切って、手放す方がお互い幸せになれると僕は思うのです。
こんまりさんの言葉を借りるなら、「ときめかなくなったモノ」。
持ち主であるあなたは、役目の終えたモノをとっておくことで部屋のスペースをとられ居心地の悪さを感じます。
役目の終わったモノたちは、持ち主であるあなたの役に立てないどころか存在さえ忘れられたまま月日が流れているだけ。
お互いがお互いを、悪い方向に作用してしまいます。
思い切って捨てることで、持ち主であるあなたは「快適な暮らしと生活スペース」を手に入れることができます。
捨てたモノは、形を変えて、あなたの元に戻ってくる
…最初読んだ時は、「なんだそりゃ」と僕も思いました。
しかし、今ではこの考え方に賛同することができます。
これは本当に不思議なのですが、部屋の片づけを徹底的に行うと「あなたが本当に欲しいモノや、やりたいことが見えてくる」からです。
実際僕も部屋の片づけを徹底的に行ってから、自分が本当に今やりたいこと、ワクワクすることが見えてきました。
より正確に言うなら「これをやりたいんだけどな」とぼんやり思っていたことがハッキリと自分のやりたいこととして現れてきます。
実際、片づけを徹底的に行った人は「自分が本当にやりたかったこと」に気づき、それを実行し人生を大きく変えたという報告が多数存在します。
なぜ、徹底的に片づけをすると人生が大きく好転するのか?
それは「過去の人生に片をつけたから」です。
だからこそ、今の自分に必要なモノが見えてくる。
そのため、「新しいモノがあなたの元にやってくる」のです。
そしてあなたの元にやってきた新しいモノたちこそが、
「あなたがかつて捨てた、役目を終えたモノたちが姿を変えてやってきた」のだと僕は思います。
…ちょっとスピリチュアルな話になってしまいましたね。
片づけをしてから僕はこのように考えるようになりました。
すべてのモノは循環している
良いことをすれば、良いことが返ってくる。
悪いことをすれば、罰が当たる。
大好きなじいちゃんに昔言われた教訓です。
もしかしたら、世の中そんなに単純じゃないかもしれない。
しかし「因果応報」という言葉がある様に、自分が発した行いやエネルギーは自分に返ってくるのだと思います。
片付けも循環して、捨てたモノが形を変えて、今自分に必要なモノとなって現れてくれるのだと思います。
まとめ
軽い気持ちでサクッと書こうと思ったら3000字を越えてました(笑)
いやあ、びっくりしました(笑) それだけ僕の中にある片付けへの熱意や思いが強いということでしょうか。
この記事を読んで下さったあなたが、自分のモノへの見方を少し変えたり、思い切って片づけを始めたりしてくれたらすごく嬉しいです。
片づけにはオ〇禁と同じくらいに、人生を大きく好転させる力があります。
ダマされたと思って、チャレンジしてみて下さい!!
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